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- 2026/07/07
サルバドールズ
月刊サルバドールズ #29
松田 恵司(さとし) / 人形芝居えびす座 二代目座長
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「えびすさまのように明るくニコニコと毎日を過ごしていく、そういう存在になりたい。」
Profile:
IT系書籍の作家を経て、2003年地域情報誌「ともも」に編集者として参加。
「人形芝居えびす座」前座長である武地秀実さんに誘われ「えびすかき」の囃子方(はやしかた)を務める。武地さん亡き後、二代目座長を引き継ぎ西宮神社を中心に地域、そして全国にえびすさまの福を届けている。
Q1:人生において大きな影響を受けた本はありますか?また、よく人にプレゼントする本はありますか?
最近よく人にプレゼントする本は、前座長の武地秀実さんが病床で最後の力を注いで書き上げた絵本『えべっさま物語』です。西宮神社だけでなく、いろいろなお店に協力してもらって各所で販売しています。弊社の方に問い合わせてもらえばお送りすることも可能です。僕は編集長としてこの本の制作に関わりました。この本は前座長の武地秀実さんが病気で入院した時に病床で書き上げた物語です。僕らがいつも披露している人形芝居に「えびす語り」という演目があります。えびすさまの人形を持って語るのですが、その演目の物語をベースにして書き上げました。
えびすさまは古事記では障がいを抱えて生まれてきた子だ、と書かれています。そして両親であるイザナギとイザナミは仕方なく、えびすさまを葦船に乗せて海に流してしまいました。古事記ではそこまでしか書かれていませんが、武地さんは独自の感性でえびすさまのその後を想像して、このお話を考えました。えびすさまは葦船で流されたあと海の中でものすごく苦労されて、いじめられて、それが何百年も続いた、と。ところがある日、西宮の海の沖でフッと海面に浮かび上がったところを漁師に拾われ、家に連れて帰ったところ実は神様だったことが分かり、夢の中でえびすさまが「私を西の方に連れてってほしい」と話しました。夢枕で言われた通り、えびすさまを西の方にお運びした結果できたのが「西宮神社」ですよ、という内容です。えびすさまはお話の中で「わしもいろいろな苦労があって、なかなか笑えなかったけれど唯一、わしを笑わせてくれた者がいる」と話します。その人は人形を操っていろいろな芸を見てくれる「えびすかき」という人物だった、と。「えびすかき」は伝統的な人形を作って操る人たちで、西宮を中心にえびす信仰を広めていました。それが淡路に伝わって人形浄瑠璃へと発展し、さらに大阪で文楽となりました。この本にはえびすさまの話だけでなく、そのような文化的な背景も盛り込んでいます。

「えびすかき」は今から約150年前、明治の終わり頃に西宮から一度、無くなってしまいました。当時の記録はほとんど残っていません。文献にも存在したことは記されていますが、簡単な紹介だけで「人形を使うのがたいそう上手く、京都の宮中で帝に人形芝居を披露したことがあった」と書かれているだけです。そこで、一体どういう芸能だったのだろう…と武地さんと一緒にいろいろ調べました。西宮でもその存在を知っている人はほとんどおらず、20年前にゼロから作り上げました。地元の商店街の中に人形芝居館という小屋を作ろうと考え、兵庫県の震災復興基金を活用し、小屋を改築する形でオープンさせました。その頃から少しずつ西宮の地域の方々にも「えびすかき」の歴史を知ってもらえるようになりました。地域の小中学校で年に1回『「えびすかき」から「人形浄瑠璃」へ』というタイトルの催しをやっています。これは地元の中学生に人形芝居を教え、実際に舞台の上で実演してもらうという取り組みです。その成果もあって「えびすかき」は西宮に元々あった芸能で、地域の貴重な歴史文化遺産なんだという認識が徐々に広がっていきました。
僕が影響を受けた本は『グリ-ンファ-ザ-の青春譜(杉山 龍丸・著)』です。著者である杉山龍丸さんは日本陸軍の整備将校で、普段は飛行機の整備をしていました。とても部下思いの人で、階級は大尉でした。戦争中は上官が「お前ら死んでこい」など無茶な命令をしてくることが多いです。杉山さんは理不尽なことに対して、上官に楯突いていろいろ提案や意見を言ったそうです。この人のおかげでたくさんの部下が救われた、と書かれています。こういった大戦当時の様子を記した自叙伝的な本です。この人の生き方がとにかくすごくて、もしこの人が今の社会にいてくれたら、僕は絶対に上司になってほしいと思っています。この人の生き方に影響を受けています。

Q2:ここ1年以内においてあなたの生活に最も良い影響を及ぼした1万円以内の買い物は何ですか?
「チキンワークス甲子園店」のお弁当です。僕は週に数回このお店にお弁当を買いに行きます。国産若鶏を使ったメニューが中心で、油をギリギリまで落として調理しているので、高タンパク低カロリーなのが好評です。新鮮な野菜もいっぱい入っているし、ご飯も十六穀米を使用していて、とてもヘルシーなメニュー構成ですが、このお店には面白い特徴があります。女性の方がオーナーなのですが、お客さんのニーズに応じてメニュー開発をされています。塩抜き、脂抜きに応じたメニューや小麦や砂糖を使用しないスイーツなど食事制限を受けている方でも家族と同じものを美味しく食べられると喜ばれているそうで「お客様により健康的で良いものを出したい」というオーナーの信念を感じます。
このお店は注文を聞いてから生のモモ肉を焼くため「少しだけお時間かかりますけど宜しいですか?」と聞かれますが、そのぶん焼き立ての香ばしさを味わえます。鶏むね肉は8時間かけて丁寧に仕込みを施しており、カロリー計算された6種類のソースが選ベる点も嬉しいポイントです。このような健康的なお弁当屋さんが車で数分の甲子園にあります。価格は一食あたり1,100〜1,600円くらいですが、どのメニューもクオリティが高いので毎週、訪れています。僕は日曜日の夜に買ってきて、その週に頑張った出来事があれば自分へのご褒美も兼ねて、家でワインを飲みながらディナーとして戴いています。ここ1年くらい僕の週1回の楽しみで、心がほんわかする癒しの時間になっています。

Q3:自分の中では失敗したと思った出来事が後の成功につながったことがありますか?具体的に教えてください。
失敗ばかりしていますね。人形芝居は人形だけでなく、えびすさまの釣り竿など舞台上で使用する道具がいろいろあります。道具一式はちゃんと現場に持ってきているのですが、それを舞台に上げるのを忘れてしまうということがありました。5年くらい前まではそういうことが多かったのですが、最近は一緒に出る方と二重チェックをして体制をきちんと整えているので、忘れることは無くなりました。
狂言とかで扇子を使用することがあるのですが、釣り竿の代わりに扇子を使って釣り竿のように見せるという演出をしたこともあります。臨機応変に今、舞台上にある道具を代用するということは僕にとって学びでした。

Q4:よく思い出したり、人生の支えとなっていたりする言葉はありますか?ことわざや誰かの言葉、あるいは自分が考えたオリジナルな言葉でも構いません。
生きていたら日々、いろいろなことがあります。今日はこれをするつもりだったけど出来なかった、という日もあります。そういう日も一つひとつのことにくよくよしないで「明日は明日の風が吹く」と考えるようにしています。これは無責任な言い方ではなく「明日は明日の風が吹くから、今日はこんな感じの日だったけれど、明日は物事が良くなっているはずだ」と何事もプラスに考えるという意味です。「あまりマイナス思考にならず、生きていこう」ということですね。
武地さんとやりとりした言葉は数えきれないほどあります。武地さんが亡くなったのは今から2年前の5月3日でした。先日、実家の方で法要があったようですが、実家は高知県の山奥にあるので僕の住んでいるところから車で5時間くらいかかります。そのため行くのがなかなか難しいです。武地さんは結婚を機に神戸に来ました。初めは神戸から西宮の会社に通勤していたのですが10年ほど前に足を骨折し、神戸から通うのが難しくなり、西宮のえびすさまの近くにマンション借りて住み始めました。それが武地さんが西宮に来たきっかけです。
Q5:今まででお金、時間、エネルギーなど何でもよいが自分のリソースを投下して最も価値のあったものは何だと思いますか?
人形芝居の海外公演でフランスに4回ほど行きました。フランスでは2年に1回『世界人形劇フェスティバル』という世界で1番大きい人形劇フェスティバルが開催されています。場所はフランス北東部にある人口5万人くらいの小さな町シャルルヴィル=メジエールです。開催期間中の約2週間は町中すべてが劇場になり、世界中から集まった人形劇団のパフォーマンスが披露され、とても賑やかになります。お店のディスプレイにも人形を飾り、町をあげての大歓迎です。1回目の時、僕たちは正式なエントリーをしないまま「とりあえず人形を持って、衣装を着て行こう!」という感じで現地に行きました。そして人がたくさんいる広場で突然「えびすかき」を披露しました。そしたらあっという間に人が集まってきましたね。演じる時は日本語です。その時の公演をちょうど日本のある会社の駐在員の方が見に来られてね。その方が僕らに興味をもってくださって、終わった後に一緒にご飯を食べに行きました。このことをきっかけにその方と仲良くなり、フランスの家に泊まらせてもらったり、現地でいろいろ助けてもらったりしました。
人形劇はゲリラ公演でした。僕らは着物を着てパンパンパンパンと太鼓を叩いて出るので、その光景が海外の人にとって珍しかったようです。西洋の人形は割とリアルな作りをしています。それに対して日本の人形はちょっと芸術性があって、海外ではあまり見かけない作りをしています。そのあたりの違いもあったのか、興味津々で見てくれましたね。僕らは人形を四角い木の箱からパッと出します。ちょうどワインケースくらいの大きさです。向こうの国では投げ銭文化が発達しているのか「ファンタスティック!」と言いながらチャリンとお金を入れてくれます。そういうところはちょっと日本と違うな、と思いましたね。
最初は日本語だけで芝居していたので、海外の方がえびすさまや日本の神様のことをどこまで理解しているのか分かりませんでしたが、2回目からはそういったことをフランス語でボードに書いて、会場に貼り出しました。ボードを通じて「こういう芸ですよ」ということを皆さんに分かってもらった上で公演しました。その経験は僕の財産になっています。座長だった武地さんがいなくなってしまったので、今はちょっとフランスまでは行くのは難しいかもしれません。でも一緒に行ってくれるような相方さんが育ってきたら、またチャンスがあるのかな、と思っています。現在、後継者育成中です。募集もしていて、実際に稽古している人もいます。
Q6:自分の中でくだらないけれどなぜか止められないクセや習慣はありますか?
クセは特に無いですね。朝の習慣は二度寝することです。1回目のアラームを止めたあと、だいたい20分後くらいに再設定して二度寝します。その20分間がすごく幸せですね。朝、目覚ましが鳴っていきなり始動するよりも、ちょっと間を置いて体を休めてから始動した方が体が楽ですね。歳を重ねてからそう考えるようになりました。若い頃は目覚ましが鳴ったら、それこそ軍隊の起床ラッパが「パパパパッ!」と鳴ったみたいに「はい、起きましょう!」と勢いよく起きられたけれど今は無理しなくていいんだ、と思ってゆっくり過ごしています。
Q7:ここ数年であなたの人生をよりよくしてくれた新しい考え方や行動はありますか?
20年前に武地さんと一緒に人形芝居を始めたことです。これが1番です。もしあの時、人形芝居を始めないでただ仕事するだけの人間だったら、今頃どうなっていたのかな…と考えることがあります。毎日の刺激や面白みが無い人生を送っていたかもしれません。45歳の時に人形芝居を始めました。武地さんが「えびすかき」についていろいろ調べていて、しばらくして「自分なりに人形芝居を作ってみたから、ちょっとやってみる」と言い披露していました。最初の3ヶ月間は商店街にある着物屋の主人とペアを組んでいましたね。でも着物屋の主人が商売をやめることになり、田舎に帰ってしまいました。武地さんもペアがいなくなって1人になってしまったので、同じ職場に勤めていた僕に声がかかりました。ほぼ武地さんの業務命令ですね。その流れで一緒にやることになり、今に至ります。あの時、武地さんに誘われなかったら、たぶん今もただの編集者として働いていたかもしれません。人形芝居をやるようになって西宮神社ともお付き合いするようになりました。
「えびすかき」は祝いの舞です。地道に活動を続けてきた結果、市や県からも「お祝いして欲しい」と依頼をいただけるようになりました。僕は演劇に関してはまったくのド素人だったので、最初はなかなか声が出ませんでした。そこで声を出すために武地さんと一緒に狂言を習いに行きました。ちょうどその頃、僕らが作った人形芝居館で狂言の教室をやろうという話があって、狂言の先生を呼んで稽古をしました。そしたらお腹から声が出るようになりましたね。あと人形の使い方を学ぶため淡路から人形浄瑠璃教室の先生を呼び、人形の使い方も教えてもらいました。
最初の5年くらいは地道に自分の身体を鍛え、さらに人形の技術的な面も鍛えました。それから10年くらい経った頃、世界に行くようになりました。これまでフランスに4回、カンボジアに1回、バリ島に1回行きました。この経験は僕の人生を変えてくれましたね。普通の人形劇だったら、ここまで注目されなかったと思うのですが、150年ぶり再興させた「えびすかき」ということで、行政をはじめ市や県、マスコミ関係も注目してくれたのではないかと思っています。

Q8:これから新たな挑戦をしようとしている若者へ伝えておきたいアドバイスはありますか?あるいは他者からのアドバイスで無視した方が良いと思うものはありますか?
「やりたいことがあったらとにかく行動してみてください」と伝えたいです。武地さんも「竿を投げない限り、何も釣れないですよ」とよく言っていました。今、自分の目の前に大きな壁があったとして、その壁を潰すことはできなくてもすり抜けられるかもしれないから、まずはチャレンジしてほしいと伝えたいです。何も考えずに進むのではなく、自分で後悔しない方向にきちんとやっていけば良いのではないかなと思います。
先ほどお話した整備将校の杉山龍丸さんは部下のことを何も考えていないような上官命令には絶対に従わず、自分の頭で考えて行動することで部下の犠牲を無くしました。だから実質社会で生きていく時も上司の言動をよく見極め、納得のいかないことがあれば自分で考え、良い方向に改善していけたらいいのではないかと思います。
Q9:ここ数年で、うまくNOと言えるようになったこと(ビジネスでもプライベートでも)はありますか?断るコツはありますか?NOと言えるようになった結果、新たに気づいたことや役に立ったことはありますか?
なかなか難しい質問ですね。今は僕1人で事業をやっているので、依頼を受けた際に「まだ勉強不足で、この状態でお受けしたらそちら様にご迷惑がかかるので、今回はちょっと遠慮させていただきます」という風に柔らかくお断りすることはあります。いろいろな作業がありますが、武地さんが築いてくれた仲間が10人くらいいるので助けてもらう時もあります。でも中には僕1人で対応しなければいけないこともあります。1人でやるにはちょっと無理かなと思った時はそういう風に対処して、辞退することもありますね。
Q10:行き詰まった時、考えがまとまらなかった時、集中力が途切れた時、どうしていますか?
行き詰まった時や考えがまとまらなかった時は、自分でも「力不足だ」と分かっているので、相手に対して正直に「勉強不足のためちょっと分かりません。申し訳ないです」と言います。そうした方が相手にも迷惑をかけないで済みます。そのまま事を進めてしまうと後で取り返しがないことになってしまうかもしれません。集中力が途切れた時は散歩に出かけたり、体を動かしたりします。ずっと机に向かって座っているのも体に悪いので、ちょっと外の空気を吸いに行って気分転換することが大事だと思います。
Q11:サルバドールされたアートや芸術はありますか?単純に好きなアートや芸術でも構いません。
フランスの言葉は僕の体に割と馴染んでいる気がします。自分でもよく分からないけれど、前世はフランス人だったのかもしれません笑。
夜、たまにウイスキーを飲みながらシャンソンを聴いていると落ち着きます。まったりした時間を過ごすことを大事にしています。フランスに行ったら街を歩いて、美味しそうだなと思った店にパッと入ります。そういうお店がすごく良かったりします。フランスの街にあるレストランに当たり外れはあまりなかったですね。フランスは何を食べても美味しいです。日本のメニューにはちゃんと写真があって、どういう料理なのか見ただけで分かるようになっていますが、フランスはちょっと違います。写真はなく、文字がびっしり書いてあります。疑問に思って聞いてみたら、フランス人は写真を見せるのではなく「どんな料理が出てくるのだろう」と個人の頭の中で想像してもらいながら料理を待つことも楽しみ方の一つと考えているそうです。それを聞いた時に「すごく深い」と思いました。フランスと日本の文化の違いを感じて面白かったです。フランスでもパリなどの観光地に行けば日本語や英語、中国語とか各国の料理を見かけるし、写真付きのメニューを出されたこともあります。これは僕の感想ですがフランスらしくないなと思いますね。しかも、そういう風に観光地化された場所にあるお店はあまり美味しくなかったりします。フランスも好きですが、日本の伝統芸能や文楽のCDを出してきて、笛や太鼓の音を聴きながら自分の気持ちを盛り上げるという時間も同じくらい好きです。
Q12:人生のターニングポイントにおいて、あなたに大きな影響を与えた人物は誰ですか?(有名人でも誰でも構いません)または誰にサルバドールされましたか?そして誰をサルバドールしたいですか?
僕の人生に大きな影響を与えたのは前座長の武地秀実さんです。武地さんに初めて会ったのはもう30年ほど前になります。阪神淡路大震災の次の年くらいかな。当時、震災の鎮魂コンサートが西宮神社で開催されて、嫁さんに誘われて行きました。嫁さんに「ちょうど編集者の方も来るから」と言われ、紹介されたのが武地さんです。武地さんは嫁さんの上司でした。しかも初めて会った場所が西宮神社の本殿の上ってすごいでしょう。西宮神社は全国のえびすさまを祀る神社の総本社です。その場所で武地さんと出会い、その後えびすさまを通じて全国展開をすることになるとは、その時は夢にも思わなかったですね。突然、僕の目の前に現れた武地さんという女性にものすごく人生を変えてもらいました。
それまで僕はずっと1人で IT関係の本を書く仕事をしていました。ちょうどインターネットが出始めた時期で、パソコン関連の本を書けばすぐに売れる時代でした。徐々にインターネットが普及した結果、みんながだんだんと本を買わなくなってしまい、本を書く仕事がちょっと減ってきた頃、武地さんが「うちの会社においで」と誘ってくれました。既にうちの嫁さんは会社を辞めていたので、今度は僕が武地さんと一緒に仕事をすることになりました。
最初は紙面のレイアウトなど編集の仕事を一緒にやりました。僕はパソコンが結構できたので、武地さんは編集などの仕事で活躍することを期待してくれました。5年くらい経った頃、武地さんは地元商店街の理事になり、町づくりの仕事を始めました。人形芝居を始めたのもその頃です。最初は「なんか、けったいなこと始めはったな」と思っていたのですが、気づいたらいつの間にか僕も仲間になっていました。武地さんは文楽や人形浄瑠璃の元々の源流とされた「えびすかき」を150年ぶりに再興させた人です。そして人形芝居えびす座を創設しました。残念ながら2年前に亡くなってしまいましたが当時、武地さんは市長から「西宮の宝です」と言われました。
武地さん亡き後、最初はどうしようかなと悩んだけれど、武地さんがずっとやりたかった「えびすかき」をここでやめてしまったら次は誰が復興させるんや、と思いました。ひょっとしたらもう永遠に復興することもないかもしれない。
僕以外には継承できる人がいないのは事実です。なので「武地さんの想いを引き継ぎ、責任を持って僕が継承する」と決心し、手を挙げました。 武地さんがいなくなった後の1年間は修行期間を確保し、座長代理としてやっていました。武地さんが亡くなって1年経った頃に二代目座長を襲名し、現在に至ります。武地さんが作り上げた「えびすかき」を若い世代にしっかり継承して100年経った未来でも西宮神社で行われる10日のお祭りの日に「えびすかき」が人形芝居をしてみんなを喜ばせている姿を頭の中でイメージしながら日々過ごしています。これが今の僕の役割かなと思っています。

子どもの頃は、えびすさまと聞くとありがたい神様という漠然としたイメージがありました。実際にえびすさまと密接に関わり合うことになってからは、自分の中で道しるべの一つになっています。いつもえびすさまのように明るくニコニコと毎日を過ごしていく、そういう存在になりたいと思っています。
武地さんはえびすさまのようにいつもニコニコしていました。その笑顔が素晴らしかったのでパネルにしました。いつもこの笑顔で人形芝居をしていましたね。人形芝居をする時、僕らは弟子に「まずは笑って出なさいよ」と声をかけます。僕らが気難しい顔をしながらえびすさまを持って出てきたら会場のお客さんも「ちょっと何かおかしいな」と思うから「まずは僕らが笑ってニコニコしないと会場はそういう雰囲気になりませんよ」と話しています。それと「いつも武地さんの笑顔を忘れないで出ましょう」と。そういう風に指導しています。

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