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2023/02/24
月刊サルバドールズ

 

月刊サルバドールズ #08

村松和明/美術史家・美術家

 


 

 

 

「天才の条件は『純粋性』」

 

Profile:

村松和明(やすはる)

1963年、愛知県岡崎市に生まれる。武蔵野美術大学卒業 、岡崎市美術館館長。美術史家、著作家、キュレーター、美術家。 2003 年にスペイン政府の給付により渡欧。サルバドール・ダリ、ジョアン・ミロを研究。研究論文をもとに制作された NHK の特別番組「私が噂のダリである」が 2006 年国際エミー賞にノミネートされる。また、企画した「村山槐多の全貌」展が「2011 年美術連協大賞・奨励賞」(美術館連絡協議会)を受賞。
著書に 『 ダリをめぐる不思議な旅 』(ラピュータ )『 もっと知りたいサルバドール・ダリ 生涯と作品 』(東京美術)、『引き裂かれた絵の真相 村山槐多の謎』(講談社)、『真実の眼-ガランスの夢 村山槐多全作品集』(求龍堂) 等がある。

 

 

日本におけるサルバドール・ダリの研究家であり第一人者である村松和明氏にインタビュー。

「サルバドール」はスペイン語、ポルトガル語で「救世主」。人は誰かの救世主になれる。誰かが誰かを救う世界を。株式会社サルバドールズはそんなイメージで代表の惠美須により名付けられた。「 サルバドール 」と言うワードにたどり着いたきっかけは世界的に著名な画家であるサルバドール ・ダリだ。ダリは超現実主義のシュルレアリストとして有名な画家であるが、作家であり、デザイナーであり、哲学者であり、エンターテイナーでもあった。彼の残したものは今でも多くの人々にインスピレーションを与え続けている。一方で昨今のビジネスや経営の世界では「アート」が注目されている。激動の時代、ロジックだけではなくよりクリエイティブでアートな要素が求められている。代表の惠美須はシュルレアリストのアプローチやダリが生み出した偏執狂的批判的方法などを芸術だけでなく経営においても取り入れることが出来るはずだと考えている。サルバドールズが追い求めているものを掴みたく今回の企画が立ち上がった。

 

 

ルバドール・ダリ(1904-1989)との出会いは小学4年生の時に小学校の図書室にあった画集を見て、なぜかは分からないが「すごい絵だ」と見入ったことを覚えています。その後、クモのような足長象や燃えるキリンなど、作品の不可思議な世界観に加え、奇行や過激な言動で世を騒がせたシュルレアリスム(超現実主義)を代表する芸術家であることを知りました。高校卒業後は武蔵野美術大学に進学しました。

 

学を卒業した1985(昭和60)年、当時の岡崎市は都心との文化格差があり、好きだった故郷へ帰る唯一の抵抗を感じました。岡崎市で初めての学芸員公募と美術教員試験両方を受けて合格し、どちらかに決めるとき「都心にも負けないような文化を持ってきて、豊かで自分も住みたくなるような岡崎にしたい」との気持ちから岡崎市第一号の学芸員となりました。採用以降は、国・県立の美術館学芸員と信頼関係を築きながら、数々の海外美術展を共同で企画して数多く開催してきたのには、そのような気持ちがあったからでした。
その年「おかざき世界子ども美術博物館」の立ち上げに関与し、ピカソをはじめとする巨匠たちの10代に描いた絵画や世界の子供たちの純粋な作品を多数収集しました。
その後1996年には「岡崎市美術博物館」の開設準備から携わりました。この館には「マインドスケープミュージアム」という愛称があり、英文造語ですが訳せば「心の風景」となるでしょうか。ところが館のコンセプトはオープン当初、著名な編集者に委託され、出てきた案は「岡崎は徳川家康が生まれた地ゆえに、16世紀中頃のバロック絵画を収集展示する」というものでした。しかしルーベンスの小さなオイルスケッチが当時でも一億円もするという現実は考慮されず…地方都市の予算ではその後の継続は不可能…バロック絵画の二級品ばかりを集め続ければ館の存続も危ぶまれます。
それゆえ私は、「マインドスケープ」(心の風景)はまさに、心を開放しようとした20世紀最大の芸術運動シュルレアリスムこそ、ふさわしいと提言しました。しかし簡単には認められるはずもなく、パリ国立近代美術館と「シュルレアリスム展」を共同企画することを契機に、シュルレアリストの優品や資料の収集を継続してゆくことにしました。継続は力なり…です。
当時はダリやエルンストでも考えられないような低予算で購入できました。今ではほとんどの作品が数倍の評価額になっており、今ではとても手が出せない次元のコレクションが形成されています。
シュルレアリスム作品を岡崎が収集するようになったのは、そのような館の危機を打開するための方策から始まったことでした。当時の文化雑誌のインタヴューに、私が「30年後には岡崎の世界的な財産となるだろう」などと話す記事が残っていますが、実際に30年ほどが経ち、世界とはいかなくても、国内屈指のシュルレアリスムコレクションとなったことは確かでしょう。
そのような作品の収集研究活動の継続や展覧会を積極的に開催した結果、論文などが認められて研究者としてスペイン政府に招かれてダリの調査を行うことにつながりました。

 

 

村松邸に何気なく置かれていた《記憶の固執》と懐中時計。

 

2003年、ダリ生誕100年を機に、スペイン政府の要請でダリを研究するために故郷カタルーニャを訪ね歩き、この画家の感性を育んだ原風景に接する機会を得ました。当時はまだ「ダリの研究をしています」というと怪訝な顔をされるような時代でしたが、これが私にとって、今までのダリのイメージを覆し、新たなダリと出会う貴重な経験となりました。
ダリはピカソと並び称されるスペイン出身の20世紀の巨匠ですが、誇張と虚飾に満ちた自伝や評伝が妨げとなり、その真の姿は隠され続けてきました。そのショーマン的仮面を脱げば、実際には、卓越したデッサン力と驚くべき創意の力をもち、アカデミズムと前衛を融合させた学識ある革新的な画家といえます。一般に、ダリの絵が難しいといわれるのには、そのような隠された実像に起因しているところもあります。描かれたもののほとんどが、自身の記憶や願望、強迫観念や愛や憎しみなど、内部に秘められたきわめて個人的なもので、彼にとっては純粋な気持ちで心に浮かぶもの…それも現実であり「見えるもの」として描いたのでした。
そのためダリの絵を理解するためには、彼の人生を知らねばなりません。ゆえにダリが生まれてから亡くなるまでの軌跡を追いました。ガラ=サルバドール・ダリ財団の研究者の協力を得ながら、実際に現地に足を踏み入れてみて初めて見えてくるものもたくさんありました。ダリは知名度が高い割に不思議なほど研究の余地は残されていると感じました。とりわけダリが、分身であり一卵性双生児だと言った妻ガラの存在は大きく、短かった蜜月期から恐妻へと変貌してゆく様は凄まじいほどで(笑)、直接的な影響を与えています。今までダリの研究が世界的に見ても大きく進んでこなかったのは、そのようなきわめて私的で内的な表現行為であり、彼がカタルーニャの地を愛し、そこにこだわったことによって、その地に立たねば理解できないことが多々あったからだと思います。
これまでダリに関する本はたくさん刊行されてきましたが、洋書の翻訳本が圧倒的に多かったことから、翻訳のしかたによって難しい表現になってしまうことも一因だったのでしょう。海外の誰かが書いた本の翻訳ではなく、日本人がダリの真の魅力を楽しみながら分かる本。その実現は私のライフワークのようになりました。
その後、生誕100年の2004年には、ダリの美しい書籍を刊行する予定で進められていたのですが、ダリの著作権が世界一難しいといわれていた時代だったため、直前で刊行できない不遇にみまわれました。ダリの著作権は混迷しており、私か企画したダリ関係の展覧会に、あらぬ権利を主張してきた団体に訴えを起こされそうになり、スペイン政府の掩護を得ながら遂行したこともありました。
その後12年の歳月を経てようやく刊行できたのが『もっと知りたいサルバドール・ダリ 生涯と作品』(東京美術)でした。この本は、生涯と作品を解説付きでわかりやすく贅沢に図版を使って鑑賞できるもので、私自身が「こんな本があったら欲しい」と思い続けてきたヴィジョンをそのままに刊行することができました。おかげ様で今までににないダリの手引書として好評をいただいているのですが、あまりにも手の込んだ構成になってしまったため、編集部の方々の並々ならぬご苦労のおかげと感謝しております。

 

 

ダリは劇場美術館の床下で一台のキャデラックを

副葬品として携えてひっそりと眠っている。

 

 

方、学芸員になって間もなく始めたのが、詩人で画家の村山槐多(むらやまかいた 1896-1919)の研究でした。槐多は今から100年ほど前に22歳の若さで亡くなった夭折の天才として名高い詩人画家です。横山大観、与謝野晶子、芥川龍之介などから賞賛され、生前付き合いがあった高村光太郎は激しく情熱のままにまっすぐに生きた彼を「強くて悲しい火だるま槐多」と詩に詠みました。槐多の小説を読んで決定的な影響を受けた江戸川乱歩は彼の水彩画を入手し、終生愛蔵しました。また、テレビの鑑定番組で、《片貝風景》(1917年)という小さな油彩画が史上最高額をたたき出したことでご存じの方も多いかもしれません。
槐多との出会いは、新人学芸員の私が担当購入した山本鼎の大作に違和感を持ち、従弟の槐多の作品ではないか?と疑いはじめたところからはじまりました。それから25年以上かかりましたが調査研究をして、槐多作と同定することができました。また明確でなかった出生地についても、戸籍謄本や遺族への調査から岡崎生まれと結論付けることができました。それらは拙著『引き裂かれた絵の真相 村山槐多の謎』 (講談社)にドキュメント小説のようにして刊行されています。2019年には新発見作品百点以上を企画展で発表。集大成となる『真実の眼-ガランスの夢村山槐多全作品集』(求龍堂)も出版することができました。
小学生の時にダリの絵に強く惹かれ、三十年後に研究者と言われるようになりましたが、槐多の研究も同じで、何事も三十年間続ければ、何か結果は出るものだと思っています。

 

 

村山槐多《横たわる裸婦》1915年 個人蔵(新発見作品)

 

 

村山槐多《房州風景》1918年 個人蔵(新発見作品)

 

才の条件は「純粋性」ではないかと思います。

理性や道徳的先入観、地位や名誉、金銭などの欲望にとらわれることなく、俗世界とは無縁なところで、まっすぐに自由な感性で創造をしてゆく。そのようなところに身を置かなければ本当の藝術は生まれてはこないでしょう。

それは、シュルレアリスムの思想の根底にあり、哲学ともいえる部分です。村山槐多もダリも生涯にわたり、純粋で透き通った少年のような感性を持ち続けました。村山槐多は『シュルレアリスム宣言』がパリで刊行される10年も前に既成概念や社会通念にとらわれることなく、むしろそれらにとらわれない精神の自由を強く意識していて、それを日記に書きつけながら自身の表現を追求し続けています。世界に先駆けて日本でただ一人、シュルレアリスムを体現した画家だったといえるではないかと思います。

 

 

村山槐多《自画像 1916年1月2日》1916年 岡崎市美術博物館

 

 

多もダリも美術のみならず、文学の領域でも表現者として才能を発揮しました。そのような多角的な才能を研究の分野で発揮されたのが私の恩師、芳賀徹先生でした。先生は美術も文学も博物も、洋の東西や時代さえも超えて縦横無尽に行き来しながら世界観を捉え研究をされ、比較文化・比較文学の領域で独自の知見を展開され日本の芸術文化に大きな足跡を残されました。東大名誉教授となられた後、1998年から2011年まで13年間にも亘って岡崎市美術博物館長としてご在任くださり、ご指導をいただけた私は幸甚でした。
芳賀徹先生が、東西の文化について比較文化論など、広く深く様々な可能性を語って下さったことが、私の美術史に対する意識に変革をもたらしています。私は村山槐多の研究と同時に、サルバドール・ダリなどのシュルレアリストの研究も行ってきましたが、普通に考えれば両者には全く関りがないように思われます。しかし実際には両者は共に20世紀初頭の画家であり同時代性を興味深く見出すことができます。以前「生来のシュルレアリスト、村山槐多」という論文を著しましたが、そのような視点で書いたものです。「東西のことをしていると中途半端になるのではなく、むしろそうすることによって、一方しか知らぬよりも、それぞれが補強され、見えなかったことが見えてくる」そう教えてくださったのが芳賀先生でした。「大変かもしれないが、若いうちは寝ずにやれば良い、死なないから」と一笑に付された。
以前は、私の論文が一通り書きあがると、赤ペンをさらりと入れてくださり、文章を書くという根本的な部分を厳しく叩き込んでくださいました。重要な論文の入稿期限が翌日に迫った時には、朝方4時ころまで読んでくださり、早朝にファクシミリで送信してくださったこともあり、先生のおっしゃっていた「寝ずにやれば良い」はご自身で実行されているのだと改めて感じ、それも後進のためにこれほどまでに徹底してご指導くださるとは…今思えば先生に大変なことをお願いしていたものだと恐れ多いばかりですが、これからは先生からいただいたご厚情を、微力ながら後進へ渡せるように努めていきたいと思っています。
「君は、村山槐多のことになると、いつも真剣だねぇ、君のようにバカがつくほどやる研究者がいないとだめなんだよ」と、からかったような笑みを浮かべながらも手厚くご指導くださいました。2019年の「没後100年 村山槐多展」において、100点以上の新発見作品を見出し展示すことができたのも「諦めることなく、とことんやりなさい」とのお言葉をいただき継続してきた成果でした。
先生は2020年ご逝去されましたが、亡くなられた2月20日は奇しくも槐多の101回目の命日でした。芳賀先生は、溢れんばかりの知識と探求心を持ち、礼節を重んじながらも前衛の精神を忘れず、ユーモアを交えて話されるその温厚な笑顔の裏には熱い情熱を秘めていました。藝術とは何か、研究者たる者は、人はどうあるべきか…そのようなことを先生から教えていただくことができたのは代えがたい財産となっています。本質へと導いてくださる方との出会いは人生を何倍も豊かにしてくれます。芳賀先生は私のことを導いてくださった人であり、サルバドールしてくださった方でした。

 

 

芳賀徹先生(右)と竹馬の友でいらっしゃる高階秀爾大原美術館長(左)と共に。2005年

 

 

究を続けていく中でこれまで幾度も大変な状況に置かれました。「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん:目的を達成するために大変な苦労に耐え、歯をくいしばりながら努力を重ねること)という言葉がありますが、先にお話したダリの著作権の問題が起きた時もそうでしたが、とりわけ2019年に企画開催した「没後100年 村山槐多展」では想像もしないことが起こりました。私としましては20年以上にわたる調査の積み重ねの成果として、ようやく新発見作品100点以上を公開することに至ったのですが、桁違いの発見点数であったためでしょうか、一部の研究者と言われる方からゴシップで有名な週刊誌にリークされて「美術史上稀に見る大発見のはずだが…贋作疑惑!」という見出しが付されて全国で発売され美術界に衝撃が走りました。いわゆる「文春砲」を受けたのです。
贋作の嫌疑を受けた私の名誉はともかく、槐多が心血を注いで描いた素晴らしい作品群を冒涜するようなゴシップは許すことができません。後世に槐多の作品の真価を正しく伝えるために、私は『研究紀要』という美術館関係の研究書に、2年間また真作であることを立証するための詳細な調査研究と執筆に明け暮れることになりました。幸い本質の分かるたくさんの方々の惜しみないご協力をいただけたおかげで2021年に刊行発表することができました。
批判は簡単に誰にでもできますが立証することは難しい「言うは易し行うは難し」を実感しながら、「寝ずにやればよい」という芳賀先生のお言葉を胸に「臥薪嘗胆」の思いでやり抜いたことを思い出します。

 

 

が館長を務める岡崎市美術館は半世紀前の建築。現在では愛知県下最古の美術館となっています。その長い歴史を生かして、年配の方だけではなく老若男女、気軽に足を運びたくなるような美術館になるように改革プロジェクトを立ち上げました。
名付けて「岡崎アートヴィレッジ(OAV)」プロジェクト。その第一弾は、2022年3月に旧図書館だった岡崎市美術館の東館上層階にある閉鎖されてきた広大なスペースを有効利用し、ゼロ予算で館員一同、頭と体だけを使って改装し、美術の書籍や画集を閲覧できる「アートライブラリー」や学生たちが利用できる「学習スペース」を設けました。また現代作家を招いて制作をする「オープンアトリエ」を開催して、「ギャラリースペース」も設置しました。自由に石膏デッサンができる「デッサンスペース」を設置してみたところ、公立美術館としては珍しいようで遠方からも美大に行きたいという若者たちが集まってきてくれています。

 

 

新設されたアートライブラリー

 

 

また、シンボルとしてルーブル美術館公認の精巧なミロのヴィーナスのレプリカも、倉庫に眠っていたものをいただいてきて、美しく息を吹き返し、多くに方々に親しんでいただいています。「館長のデッサン教室」と題してワークショップを開催したところ、14歳の少女から80歳の紳士まで幅広い層の方々がデッサンに取り組んでくださり、その様子は、美しい「藝術の村」の始まりを予見させてくれました。
今後は三階部分の閉鎖空間も息を吹き返すようにして、パフォーマンスや映像の分野まで広げて利用できるようにして進化をさせてゆく計画です。

 

 

公立美術館では珍しいデッサンスペース

 

 

市民が気軽に参加できる新たな総合芸術コミュニティ「岡崎アートヴィレッジ(OAV)」の構想は、長らく美術館に関わってきた学芸員の経験や美術家としての視点などから発想されたものかもしれません。しかし最も大きいのは、芳賀先生と何度も話しあってきた「藝術とは何か、ミュージアムとはどうあるべきなのか…」という知見の集積から生まれたものではないかと思います。

「藝術は決して特別なものではなく、人々の生活の中にあるべきだ」と私はそう考えています。
どんなに古い美術館でも、純粋に皆さんが藝術を身近に感じて楽しいと思っていただけたなら、それが私の喜びです。

「純粋性」の追求は、社会においては他者との関わりもあり難しいことかもしれません。しかし変な欲望を抱かず、ただ正しいと確信したことを「純粋」に努力し続けていけば、どれだけ遠回りしようとも「結果」は必ず表れてくるものだと思ってます。
美術史研究、著作、キュレーション、美術制作、すべてにわたって今も変わらず、「純粋性」の探求は、私の中に一貫として存在するテーマとなっています。

 

 

「館長のデッサン教室」では14歳の少女から80歳の紳士まで

幅広い層の方々がデッサンに取り組み楽しむ。

 

 

村松和明《生命-無垢》2008年 作家蔵

デジタル信号など現代の諸相をコンピューターを使わずにあえて手で描くことで「物質と精神」の融合を試みる絵画。村松氏の代表作のひとつ。

【村松和明展】

2023年10月28日(土)~11月8日(水)

ギャラリー島田(神戸市中央区)にて開催予定

 

 

LINK:

村松和明 Facebook

岡崎市美術館 WEB

サルバドール・ダリ《記憶の固執》──無意識の情景「村松和明」

アート クリエイティブ サルバドール・ダリ シュルレアリスム 村山槐多

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